最強!のニーチェ入門 飲茶
◆はじめに
そろそろ、ツァラトゥストラや道徳の系譜を読みたいなと思っていたので、その入門として買ってみた。近代以降の哲学に対して全然知識がなく、イマヌエルカント→ウィトゲンシュタイン→ハイデガーくらいしか知らない。
ニーチェ本のガイドブックになるとともに、近代哲学の入り口になってくれればと思い読んでみた。
◆概要
OLと先生の対話形式で話をする本。現代人がニーチェの思想を基にお悩み解決をするという形の本。非常に分かりやすい例を用いて、ニーチェを解説している。
作者は飲茶さん。史上最強の哲学入門や正義の教室など、分かりやすい例を用いながら哲学の入門書を執筆している。
また、テーマのニーチェは実存主義の人。神は死んだなど、さまざまな名言を残しており、人気の哲学者のひとりである。
◆要約
以下の3点についてまとめる
・末人の誕生
・道徳は弱者のたわごとである
・目の前のことに精一杯生きる
■末人の誕生
末人とは、「忙しく働いて、無為に時間をつぶす人間」のこと。周囲を見渡すとそのような人はたくさんいるだろう。19Cを生きたニーチェはこのような事態を予見していたのである。
ニーチェの考えは以下の流れである。
1:昔は宗教により人生に意味付けがされていた。(Last Judgement)
2:宗教は力を失い、人々は人生に意味がないことを悟る
3:人生に意味がないのだから人生の充実感や情熱を失う
4:日々を無為に過ごす人の誕生
このようにして、末人が誕生すると予見していたのである。
ところで、項目2で人生に意味がないということを記述している。なぜ、意味がないのだろうか?
宗教を失った現代人の考える人生の意味は、結婚することとか金持ちになることとかであろう。しかし、少し考えてみてほしい。結婚や金持ちになったとき、またはなれなかったとき、虚無感や挫折を感じるのではないのだろうか。例えば、結婚したときは幸せだったけど慣れてくるとウザったいとかいう話があるだろう。
しかしながら考えてみると、そもそもこのような人生の意味は社会的慣習によるものが大きい。一夫多妻制や共産主義や少数の部族など我々の価値観と違う価値観を持った人々がいるが、彼らの人生は間違っているのだろうか?
結局我々の考えている意味というのは、外部からの押しつけであり、本質的な意味はないということができる。
■道徳は弱者のたわごとである
我々の価値観は歪んでいることを指している。心理学的に言えば認知的不協和の一種であろうか。イソップ物語の例を示す。
狐は木になっているブドウを採ろうとしてジャンプする。何回か挑戦するものの、らそのブドウに手が届くことはなかった。そして狐はこういう。「あのブドウはすっぱいぶどうだよ。」
要するに、手に入らなかったから、ジャンプ力を伸ばすという努力を放棄して、負け惜しみをするということである。これが道徳とどのようにつながるのだろうか。
我々の価値観として「弱いことはいいことだ」という側面はある。いきなり休日出勤を求めら従ったりしていないだろうか。いじめをされているのに従っていないだろうか。前者に対して自分が会社の役に立っているとか、後者に対してやり返したらもっといじめられるとか考えていないだろうか?このような価値観は奴隷道徳ということができる。
ニーチェは道徳のすべてを批判したわけではない。ただ、道徳のうち、人間本来の生き方を妨げているものが存在していることを指摘しているのである。
■目の前のことに精一杯生きる
人生に意味がないことを受け入れて、目の前のことに精一杯生きることが超人であり、幸福に生きる道である。この結論に至るための手法として、ニーチェは永劫回帰という考え方をした。
永劫回帰とは世界は繰り返しであるという思考上の仮定である。例えば、荷物運びを、終わりもなく実施すると考える。ここで、荷物を運ぶことに意味を求めると絶望してしまうだろう。
そのような世界で幸福に生きるためには、今目の前の荷物を運ぶことに集中することだとしている。集中するとは社会的な意味づけではなく、リアルな感触を大切にすることを指す。例えば、荷物の価格とか、何のために運ぶとかではなく、荷物の手触りとか重さとかを感じることで幸福に生きることができる。
◆感想
ニーチェの思想のフレーム見たいなものを理解した気がする。特に、愚痴とか不満とか吐きながら行動しないのは末人であると考える。
本書はあくまでも入門書なので、原書を読むまたは体験を通じて理解を深めていきたい。
◆キーワード
ニーチェは独特の用語が多いので、メモしておきます。
末人、ニヒリズム、ルサンチマン、超人、永劫回帰、奴隷道徳、神は死んだ
以 上