史上最強の哲学入門 飲茶(その1)
◆はじめに
本書は哲学史上の重要人物を紹介する本である。
似たような本はいくつもあるが、飲茶さんの観点からどのように切り取られるのか。
そこがポイントです。
◆要約
本書は、人物の紹介なのですでにまとまっています。詳細は本を購入するとして、ここでは流れを整理します。
まず、飲茶さんは哲学史を以下の4つの観点から切り取っています。それぞれについて流れをまとめていきます。なお、本文量が多くなってしまうので、4回に分けたいと思います。
・真理の探究
・国家の真理
・神様の真理
・存在の真理
■真理の探究
・古代 相対主義か絶対主義か。
ギリシアではポリスが形成されていた。ペルシャの侵攻により、デロス同盟などポリス同士が接近することになった。ポリス同士が接近することで分かったことは、自分が真実と思っていた話は他のポリスでは真実ではなかったということ。その結果、絶対的な真実は存在しないとして相対主義がはびこるようになった。
相対主義者の典型として、プロタゴラスがあげられる。プロタゴラスは「人間は万物の尺度である」という言葉を残している。彼は、当時のアテナイでは有名な知識人(=ソフィスト)であり、彼の公演料は軍艦を買えるほどだったといわれている。
一方、絶対主義者の典型がソクラテスである。ソクラテスは絶対的な良さ(アレテー)が存在すると考えるとともに、アレテーとは何か追求した。アレテーの探究のため、当時の知識人(≒相対主義者)に話を聞きに行くことが多かった。しかしながら、知識人の話は要領をえることがなく、結果として相対主義者の自己欺瞞を暴くことになる。このように栄えたギリシア哲学だったが、ギリシャの崩壊とともに、ヘレニズム哲学やキリスト教思想などに移り変わっていく。
・近代 理性の追及と破綻
デカルトは当時の哲学が個人の考えだらけで、系統だっていないことに疑問を感じていた。そこで、数学を参考に哲学を系統立てようと試みる。つまり、数学では少ない公理からあらゆる定理が導き出されるというように、哲学でも絶対的な真実を見つけてそこからあらゆる論理を構築しようと試みたのである。
デカルトは絶対的な真実を見つけるために「方法的懐疑」と呼ばれる手法を使用した。方法的懐疑とはざっくり行ってしまえば、あらゆる可能性を考慮し、疑ってかかるということ。デカルトは、今見ているのは夢かもしれないなどと疑いながらある真実に到達する。これが超有名な一説「われ思う故にわれあり」である。デカルトはこの私の存在証証明からあらゆることを系統だていったのである。
このように偉大なデカルトであったが、幾つかの欠点があった。
・私とは何なのか
・私の存在証明は認めるとしても、以降の議論が雑であった
これらについて近代哲学がひたすら追求していったのである。
デカルト以後の近代哲学者のイマヌエルカントは凄いことを言い出す
イマヌエルカントは「人間は物自体に到達することはできない」としてしまった。
これは、知覚を通してしかモノを認識することができないということをいっている。
そのうえ、イマヌエルカントはこういう。
「真理とは人間によって規定されるものである。」
もはや、真理の追及は不可能となってしまったといえる。
ちょうど、量子力学で不確定性原理が発見されたり、数学で不完全性定理が発見されたりしたのと同じである。(こう書くと、誤解されるので、詳細は専門書をご覧ください。不完全性定理については数学ガールが分かりやすくておすすめ)
・現代 実存主義の台頭
実存主義とはざっくりいうと「現実に役に立つものが真実だよね」という思想である。例えば、ジャックデリダは得ることのできない絶対的な真理を追究するのは不毛とした。また、デューイは、抽象的な概念について「効果は何か」について議論していこうとした。
このようにして、現代哲学へと移行してきたのである。
◆まとめ