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数学史 エジプト数学

◆はじめに

 

 最近、数学の歴史を勉強しています。ここではその成果を一部メモ書きしてきます。

 まずは古代エジプト数学です。

キーワード

 ヒエログリフ、単位分数、位取記数法

 

全般

初めに、古代エジプトとはいつを指すのか。ここでは紀元前3200年ごろから紀元後400年までとする。古代エジプト語で文字が記述されている。

 紀元前から紀元後までの長い期間の間で、数学にも趨勢があった。中王国(紀元前2000-1600ごろ)、グレコ・ローマン期(紀元前300-紀元後400年ごろ)に数学が発達した。

 

テクスト

当時の人はどのような文字を何で何に書いたのか。まず、書いた道具であるが当時はすすやタコのスミなどを使用したといわれている。このようなインクは紀元前5000年前から存在したといわれている。

 

次に何に書いたのか。これはパピルス紙というものに記述している。パピルス紙はパピルス草の茎を薄くのばし、水で濡らした板の上に縦横に並べて重ね、圧縮して水分を抜いたものである。パピルスは100年程度でボロボロになるといわれており、弟子たちはテクストをたびたび書き写していたと考えられる。

 

次に文字であるが、3つあると考えられている

ヒエログリフ 聖刻文字

ヒエラティック 神官文字

・デモティック 民衆文字

文字は右から左へと記述される。

 

古代エジプト数学の代表的テクストはリンドパピルスである。

これはスコットランド人のリンドが1858年にルクソールにて

入手したもので、現在は大英博物館に 展示されている。

 

エジプト数学の内容

テクストの内容は表テクストと問題テクストに分かれる。

表テクストは単なる数字の羅列で特に意味が明示されているわけではない。

問題テクストは問題とその解法から構成される。問題は赤色で示され、他の文字とは区別される。(他は黒色)問題と計算はすべて具体的数値からなり、一般的な開放は示されない。計算の結果は、検算によって確かめられる。エジプト数学のメインは、算術的であり、幾何学的ではない。

 

次に記載されている数字について記述する。我々の数字の記載方法は10進位取り記数法と呼ばれる。古代エジプトでは10進ではあるが、位取り記数法ではないので位が上がるごとに新しい数記号を必要とした。なお、位取りではないので、基本的にゼロという数字は必要ではない。(つまり、1010を表すためには1000と10の記号を書けばよいのであり、そこには0は必要がない。)

 

次に計算法を記述する。

和算と減算は記号を足したり引いたりするだけである。

積算と除法は表を使う。例えば以下のような表である。

ヒエログリフな僕自身なじみがないので、現代風に記述する。)

 

* 1 73
* 5 365
* 10 730
* 50 3650

この表では66×73をしている。計算結果は4818である。内容としては73×1=73, 73×5=365, 73×10=730, 73×50=3650 の和を取り、4818を計算している。

除法も同様である。

単位分数

日常生活において分配する場合に1より小さな部分を表す数が必要となる。古代エジプトにおいて、1より小さい数の表記法には単位分数法がある。単位分数とは分子が1の分数をさす。数字の上に口形の文字とその数の単位分数となる。

 

次に問題となるのが単位分数の倍の示し方である。その際、異なる単位分数をその和で示す方法がとられた。例えば3/4は1/2、1/4と表記する。そこには分母の小さい方を前に置くこと、使用する単位分数をできるだけ小さくすることなど暗黙の規則があった。また他にも規則があり、例えば2/5を示したい場合1/5を二つ並べる方法は認められず、1/3、1/15と表記した。 

ピラミッド問題

 古代エジプトで高さは「pr-m-ws(ペル・エム・ウス)」 で示されます。これがギリシャ語で「ピュラミス」となり、そこから「ピラミッド」という語が成立しました。古代エジプトではピラミッドの問題がいくつかありまして、ここでは事例を2つ紹介します。

 切頭ピラミッドの問題:上面が1辺の長さ2の正方形で、底面が1辺の長さ4の正方形、高さが6の正四角錐台の体積を求めている。その解は56と記されていて、正しい解である。

 セケド問題:ピラミッド全体の底辺の長さと、ピラミッドの高さから、斜辺の長さが分かる。

 

これらの問題の特徴は、ともに図形の問題であるけれども幾何学的な証明がなく具体的な数値計算のみが行われているという点。この意味ではエジプト数学は幾何学ではなく算術計算であったということが確認できる。 

 また、ピラミッドに数学が用いられており、実用数学に重きが置かれていたということが分かる。切頭ピラミッド問題は資材量の計算に、セケド問題はピラミッドの高さを計算するために利用できる。

文化背景

 エジプト数学はどのように用いられていたのかという話をする。エジプト数学は書記の人々に利用されていた。

 書記の仕事は報酬や労働など実務的な計算をすることであった。数字の特性を知るために数学を使用していたわけではない。

 なお、書記は肉体労働をしなくてもよいため、エリートと考えられていた。現代では数学者の地位が貶められていると思うが、当時は立派なものだったのである。

 

感想

 エジプトでは実務的な数学を利用していた。表記法や計算法は現代と異なる点も多く、興味深い。非常に面白いので、勉強してみよう。

 

史上最強の哲学入門 飲茶(その4)

◆はじめに
 この記事は史上最強の哲学入門、存在の真理編です。
 真理の真理編はこちら
 国家の真理編はこちら
 神様の真理編はこちら
 
 
◆存在の真理
 ・古代
   万物流転説と万物不変説、そして原子論
   古代ギリシアからものは何なのだろうかという疑問はあった。
   
   ヘラクレイトスは万物流転説を唱えた。
   有名な言葉に「(河の話)」がある。
   この時点で、ものが移り変わるということをとらえていたのである。
 
   一方、パルメニデスは万物不変説を唱えた
   例えばリンゴはどこまで細かくしてもリンゴであり、メロンになることはない。 
   このように、万物を細かくしてもものは変わらないということを考えていた。
 
   両者の話を受け、デモクリトスは原子論を唱えた。
   確かに原子レベルで見れば、万物は不変である。
   しかし、結合や原子の移動などを考えると、万物は流転しているともいえる。
   古代ギリシアの時点で原子という考えが生じていたのである。   
 
   ちなみにこれは典型的な弁証法の活用例である。
   万物流転説というテーゼに対し、万物普遍説というアンチテーゼ
   両者を立てるより良い説、原子論というジンテーゼ
 
 
 ・近代
   近代になると、キリスト教の価値観が終わり、科学を通じて、世界観が新しくなる。
   近代の物理学者のニュートン万有引力の法則を発見した。
   この法則のすごいところは、「リンゴが落ちた」というてところではなく、
   万有引力の法則を活用して、月が落ちない理由などを考察した点である。
   また、当時の最新の学問であった微分法を利用して、あらゆる物体の運動を予測することが可能になった。
   つまり、あらゆる存在が同じ法則にしたがっていることを発見したのである。
 
   しかしながら、存在とは何かということには踏み込んでいない。
   存在とは何かに踏み込んだのがバークリーである。
   彼の主張は「我々が認知するから物体は存在する」という説である。
   我々が存在するといっているのも、脳みそに電極を埋め込んでいるだけなのかもしれないのではないかというのである。
   このようは大胆な発想に答えることができなかった。
 
   バークリーが爆弾を投じてから、時は流れ20世紀。
   偉大な哲学者が現れる。フッサールである。
   フッサールはバークリーが立てた問題に対し、このように答える。
   「そんなことを考えても無駄だ」
   物理学者たちはこういう。
   「すると科学法則が壊れてしまいます」
   それに対してフッサールは言う
   「一向に構わん!!」
   問題が問題であれば、回答も回答である。
   何はともあれ存在というものは我々が規定しているものであると考えるのが今の主流であるといえる。
 
   また、別の観点から存在とは何かを明らかにしようとした哲学者がいる。ハイデガーである。
   ハイデガーはそもそも存在とは何かを議論する前に存在を定義している人間について知るべきだとしている。
   彼の存在論は「存在と時間」という著作の中に書かれているが、未完であり、彼の思想が如何なものであったか知る由もない。
 
◆感想
  この手の本は箇条書きになりがちで、それぞれの項目間のつながりが浅いのが多いのですが、本書は話の途中に背景知識の説明があり、なるほどと思わせてくれる。
  また、ユーモアにあふれた文章であり、非常に笑える。東洋の哲人たちも面白かったが、本書も変わらず面白い。

史上最強の哲学入門 飲茶(その3)

◆はじめに
 この記事は、以下の記事の続きで、神様の真理について記述します。
  真理の探究はこちら
国家の真理はこちら
 東洋哲学編はこちら
◆神様の真理
 ■古代:キリスト教思想の普及
   キリスト教は甘い言葉をささやく。
   「信じる者は救われる」
   弱者に寄り添った教義であるキリスト教は人気を博した。
   ローマ帝国は392年にキリスト教を国教とし、キリスト教は世界の主たる宗教として広まった。
 
  このようにして広まると必ず発生する事象がある。それが内部分裂である。キリスト教の教義でも、戒律を厳格に守るか、自らの弱さを認めるかなどの解釈が発生した。そこで一役買ったのがアウグスティヌスであった。
 
 アウグスティヌスは弁論術を学んでおり、さまざまな論敵を論破していく。さらに、「告白」を記述し、「人間は神により救われる」懺悔的教義を打ち出す。こうして、キリスト教は安定した時代に入っていくのである。
 
 ■近代 キリスト教の破綻
 12世紀になると、アリストテレスの哲学がラテン語訳されて、西洋に入ってきた。論理的な哲学はキリスト教の神学と矛盾している点がある。ただの人が、キリスト教の教義と矛盾しているだけなら異端とすればよかったが、「万学の祖」として高名なアリストテレスをさすがに無視できない。ここで哲学と神学の論争が始まる。
    
 哲学と神学の矛盾点であるが、例えば、万能のパラドックスがあげられる。これは万能の神ならば、持ち上げることのできない石を作れるはずだという話である。持ち上げられなければ、神自身が石を持ち上げられないという意味で万能ではないし、持ち上げられれば、持ち上げられない石を作れないという意味で万能ではない。
    
 また、宗教的な真理と哲学的な真理は別のものだという、2重真理説まで持ち出すしまいである。それは真理と呼んでよいのだろうか。。。
 
 哲学と神学の論争をまとめたのはトマス・アクィナスである。
 トマス・アクィナスは理性の範囲外にある事象を示した。例えば、因果律を考えれば、一番初めの事象はどういう原因で発生したのかということは理性では追求できない。このような理性の範囲外にある真理については神からの啓示でしか知ることができないとして、哲学的領域と神学の領域を区別した。
 
 ■ニーチェの思想
  さらに時は流れ、キリスト教は力を失っていた。
  19Cにはついに「神は死んだ」という禁句を言ったものがいる。ニーチェである。
 
  ニーチェはただ単に神は死んだといったわけではない。神を信じていない人は当時たくさんいたはずである。ニーチェの偉大な点は、神のいない世界でどのように生きればいいのかを示している。それは「力への意思」である。
  力への意思とは、ニヒリズムに包まれた世界でも、生きることを肯定するという思想を指す。ニーチェが没してから100年以上たった現在、ニヒリズムに包まれた世界にいる。我々はどのようにして生きていけばよいのだろうか。
 
◆まとめ
 日本人は神様のことを信じていないから、あまり関心のない分野かもしれない。しかし、西洋の思想は間違いなく聖書の影響を受けている。ニーチェツァラトゥストラは聖書のパロディといっているほどである。世界を知るためにも、神様に対する考えとかを知っておく(理解するのは不可能と思う)のは有意義であろう。

史上最強の哲学入門 飲茶(その2)

◆はじめに

 この記事は史上最強の哲学入門の続き記事です。

 国家の真理について記述します。

 真理の探究についての記事はこちら。

bebebebe.hatenablog.com

 

 東洋哲学編はこちら

bebebebe.hatenablog.com

bebebebe.hatenablog.com

bebebebe.hatenablog.com

 

◆国家の真理

 ギリシアでは直接民主主義が実現されていた。このように書くと先進的なイメージを持つかもしれないが、当時のギリシアでは衆愚政治がひどかったといわれている。現代人がメディアに先導されるように、ソフィストの言葉で民は先導されていたのである。
そんな世界の中で、プラトンとその弟子アリストテレスは国家はどのようにあるべきかを論じている。
 
 プラトンは主著「国家」の中で、理想国家とはどのようなものであるかを提案している。
 理想国家に必要な条件は以下のとおり
  ・男女平等
  ・女性・子供の共有
  ・哲人王による統治
  現代でも通用する思想である。当時のアテナイでは先進的すぎる発想だったであろう。
 
 アリストテレスはどのような政治形態があるか、さらには腐敗するとどうなるかを整理している。
 ・一人の場合、成功:君主制  失敗:独裁政治
 ・少数の場合、成功:貴族制  失敗:寡頭制
 ・多数の場合、成功:民主政治 失敗:衆愚政治
 腐敗した場合、クーデターが起きると予想し、実際どうなったかは歴史が証明するところである。
 
 ■近代 社会契約説
 近代になり、従来のキリスト教の統治から、絶対君主による統治へと変化するようになってきた。すると、改めて次のような議論が出てくる。「そもそも国家にはなぜ支配者が必要なのだろうか」と。このようなテーマに対し、近代の偉人が2人。ホッブズとルソーである。
 
 ホッブズは国家のない自然状態の人間は野蛮であるため、支配者が必要なのだとしている。そのことを著書「リヴァイアサン」のなかで、万人の万人に対する闘争状態と表現している。どんなに悪性であろうと、国家のもとで過ごすことが幸福なのだと考えている。
 
 ジャンジャックルソーは自然状態の人間は闘争のない状態だとしている。著書「人間不平等起源論」の中で、原始状態の人間は他人に関心がなく、不平等も存在しない世界であったと記述している。ルソーの主な思想は、「真の権力者は王ではなく、民衆である」というものである。
 
 ■現代 資本主義と共産主義
 時は流れて現代。工業化が進み、世界のあり方も変わってきた。国家の体制として、どのような政治体制がよいかということのみならず、どのような経済体制をとるべきかも問題になってきた。経済体制のありかたとして、資本主義と共産主義があげられる。
 
 資本主義は自由に競争させて、適者生存していきましょうという方法。メリットは各所各所で最適化が図られているということ。デメリットは格差が広がりやすいということ。また、現代では、欲望もないのに意味のない開発をするということがある(ファジーエアコンなど)欲がないから、開発をやめますとなると多くの失業者がでてしまう。もはや資本主義を維持するために、資本主義を行っているという側面を否定できないのである。
 
 一方、共産主義はみな平等で、計画的に生産していきましょうという方法。国が絶対的な権力を持っているがゆえに、大きな政策を打ちやすい(ソ連のロケット開発など)というメリットがある。一方、マイクロマネジメントができず、無駄の多い社会になりやすい。その他のデメリットとして、掲げた平等がウソであったことや、モチベーションが上がらないという問題がある。
 
 このような資本主義と共産主義であるが、起源はどこにあるのだろうか。資本主義を打ち出したのはアダムスミスであり、共産主義を打ち出したのはカールマルクスである。
  
 アダムスミスは主著「国富論」の中で自由競争の必要性を説いた。
 彼の革新的なところは、利益追求はいやしい行為であるという価値観であった世界に異論を唱えたところにある。また、自由競争により国家が破たんするのではないかという問いに対し、「見えざる手」によって納まるべきところに納まるとした。
 
 カールマルクスは資本主義は新しい階層制度を生み出しており、いずれ破たんする制度であるとした。つまり、資本家(ブルジョワジー)と労働者(プロレタリアート)に分かれており、いずれ労働者による革命が起きると予想した。そこで、資本主義に代わるシステムとして共産主義を提案したのである。

 

◆まとめ

 国家の話をまとめた。国家のあるべき姿について昔から議論されていた。一方現代日本の政治制度はどうであろうか。政治について、アリストテレスの言うように、同じ制度でも腐敗に移行していないだろうか。また、経済について、資本主義に限界は来ていないだろうか(先に共産主義の限界が来てしまったが)。改めて物事を考えてもいいかもしれない。

 

史上最強の哲学入門 飲茶(その1)

◆はじめに
 本書は哲学史上の重要人物を紹介する本である。
 似たような本はいくつもあるが、飲茶さんの観点からどのように切り取られるのか。
 そこがポイントです。
 東洋哲学編は以下の記事で書いています。

 

bebebebe.hatenablog.com

bebebebe.hatenablog.com

bebebebe.hatenablog.com

 

 
◆要約
 本書は、人物の紹介なのですでにまとまっています。詳細は本を購入するとして、ここでは流れを整理します。
 まず、飲茶さんは哲学史を以下の4つの観点から切り取っています。それぞれについて流れをまとめていきます。なお、本文量が多くなってしまうので、4回に分けたいと思います。
 
・真理の探究
・国家の真理
・神様の真理
・存在の真理
 
 
■真理の探究
 ・古代 相対主義か絶対主義か。
  ギリシアではポリスが形成されていた。ペルシャの侵攻により、デロス同盟などポリス同士が接近することになった。ポリス同士が接近することで分かったことは、自分が真実と思っていた話は他のポリスでは真実ではなかったということ。その結果、絶対的な真実は存在しないとして相対主義がはびこるようになった。
 
 相対主義者の典型として、プロタゴラスがあげられる。プロタゴラスは「人間は万物の尺度である」という言葉を残している。彼は、当時のアテナイでは有名な知識人(=ソフィスト)であり、彼の公演料は軍艦を買えるほどだったといわれている。
 
 一方、絶対主義者の典型がソクラテスである。ソクラテスは絶対的な良さ(アレテー)が存在すると考えるとともに、アレテーとは何か追求した。アレテーの探究のため、当時の知識人(≒相対主義者)に話を聞きに行くことが多かった。しかしながら、知識人の話は要領をえることがなく、結果として相対主義者の自己欺瞞を暴くことになる。このように栄えたギリシア哲学だったが、ギリシャの崩壊とともに、ヘレニズム哲学やキリスト教思想などに移り変わっていく。
 
 ・近代 理性の追及と破綻
 ときは移って17世紀。十字軍の失敗や大航海時代の始まりなどにより、キリスト教の存在感は落ちてきていた。近代の哲学で重要な人物としてあげられるのはデカルトである。
 
 デカルトは当時の哲学が個人の考えだらけで、系統だっていないことに疑問を感じていた。そこで、数学を参考に哲学を系統立てようと試みる。つまり、数学では少ない公理からあらゆる定理が導き出されるというように、哲学でも絶対的な真実を見つけてそこからあらゆる論理を構築しようと試みたのである。
 デカルトは絶対的な真実を見つけるために「方法的懐疑」と呼ばれる手法を使用した。方法的懐疑とはざっくり行ってしまえば、あらゆる可能性を考慮し、疑ってかかるということ。デカルトは、今見ているのは夢かもしれないなどと疑いながらある真実に到達する。これが超有名な一説「われ思う故にわれあり」である。デカルトはこの私の存在証証明からあらゆることを系統だていったのである。
 このように偉大なデカルトであったが、幾つかの欠点があった。
  ・私とは何なのか
  ・私の存在証明は認めるとしても、以降の議論が雑であった
 これらについて近代哲学がひたすら追求していったのである。
 
 デカルト以後の近代哲学者のイマヌエルカントは凄いことを言い出す
 イマヌエルカントは「人間は物自体に到達することはできない」としてしまった。
 これは、知覚を通してしかモノを認識することができないということをいっている。
 そのうえ、イマヌエルカントはこういう。
 「真理とは人間によって規定されるものである。」
 もはや、真理の追及は不可能となってしまったといえる。
 ちょうど、量子力学不確定性原理が発見されたり、数学で不完全性定理が発見されたりしたのと同じである。(こう書くと、誤解されるので、詳細は専門書をご覧ください。不完全性定理については数学ガールが分かりやすくておすすめ)
 
 ・現代 実存主義の台頭
 近代で見てきたとおり、理性には限界があるのではないかと考えられるようになってきた。そこで出てきた現代思想のひとつが実存主義である。
 実存主義とはざっくりいうと「現実に役に立つものが真実だよね」という思想である。例えば、ジャックデリダは得ることのできない絶対的な真理を追究するのは不毛とした。また、デューイは、抽象的な概念について「効果は何か」について議論していこうとした。
 このようにして、現代哲学へと移行してきたのである。
 
◆まとめ
 真理について、現代哲学に至るまでの経緯を整理しました。改めて、古代ギリシア時代から、絶対的な真実があるのではないかといった論争があったのは興味深いですね。キリスト教時代の1500くらいに思想が発展しなかったのが悲しい。