算数の教育について(雑記)
■テーマ
最近話題の2×3が正解で3×2が不正解となる話について。
■問題提起
学校教育では2×3が正解となり、3×2と順番が逆になると不正解になるらしい。
そのニュースを受けてぼんやりと考えたので記述する。
そもそもなぜこれがニュースになるのか?
2×3と3×2の結果が一致することを我々は知っている。
ゆえに、どちらでもいいじゃないかという風に考える。
しかし数学を記号ではなく現実と結び付けて考えたらどうだろうか?
2個が3セットあるという表現と3個が2セットあるというものでは意味が違うだろう。
従って、2×3と3×2が同じであるということは、現実と対応付けながら考えると自明とは言えないと私は考える。
ならば、なぜ我々は2×3と3×2が同じということを知っているのだろうか。
そのようなルールだからであろうか?
個人的には、そのようなルールが設定される必然性も感じない。
例えば行列演算ではA×BとB×Aは答が異なっている。
交換法則が成立しない世界も存在するのである。
ならばなぜ、2×3と3×2が一致するのか。推測だが、2×3というのは数学的な何らかのプロセスを経て3×2と一致するという結果になっているのではないか?
つまり2×3→(数学的手続き)→3×2となる。
話は脱線して数学にはトポロジーという分野がある。
聞きかじった話なので恐縮だが、トポロジーでは穴の数が大切といわれている。例えば、ドーナツの穴の数は真ん中の一つ。コーヒーカップの穴の数は取っ手の一つ。従い、ドーナツとコーヒーカップは穴が一つで同じ形となるらしい。
ここでは、ドーナツ→(数学的手続き)→コーヒーカップとなる。
ここで、算数の話とトポロジーの話がつながる。
算数もトポロジーも実はA→(数学的手続き)→Bなのである。
したがって2×3と3×2が同じというならばドーナツとコーヒーカップは同じ形というのを認めると同義であり、同時に対偶であるドーナツとコーヒーカップは違う形というならば2×3と3×2は違うということになる。
2×3と3×2は同じであるが、ドーナツとコーヒーカップ違う形という説は成立しない
■まとめ
自分で書いていて意味が分からんかった。
なんとなく、ニュースをみて、議論がかみ合っていないと思ったので。
算数を言語として認知すれば2×3と3×2は別物だし、
算数を記号として認知すれば2×3と3×2は同一のもの
という結論になるのではないか?