名前で呼ぶということ
名前を呼ぶということはどういうことか。
個人的な意見を書いておく。
■名前について
1.名前は個人にとって大切なもの
名前は凄く大切だと思う。
個人的な経験で恐縮だが、名前のすごさを感じたことを紹介したいと思う。
海外に出張からの帰り、ローマの空港で飛行機待ちをしている時間での出来事である。その日は天気が悪かったため、運悪く自分の便が飛ばないことになってしまった。その便の振り替えについてアナウンスがあった。
ところで、基本的に私はどこでも読書をする。短い時間でも時間が取れたら、パラパラとページをめくる。空港は、長い時間をとれる、いい読書時間である。当然その日も読書に集中していた。
便振り替えのアナウンスが流れる。当然英語。集中しないと聞き取れない。しかし、人間不思議なもので、名前が呼ばれると、気づいてしまう。読書に集中していても、英語的な発音であっても。このおかげで、私は便振り替えに気がついて、カウンターに行って何が起きたのか、どうすればいいのか確認することができた。
これは私の例だが、皆もいきなり自分の名前が聞こえて驚いたという経験はないだろうか。「呼んだ!?」となるときはないだろうか。
人にとって名前は大切なものである。
2.愛情表現である
名前を呼ぶこと自体が愛情表現の一つではないかと思う。
恋人の名前を初めて下の名前で読んだり、逆に呼ばれたり。
よびやすくするためあだ名を与えたり。
私にとっては、穏やかだけども、何かすごく大切な瞬間だと思っている。
また、意味もなく相手の名前を呼び合った時の優しい感情は、何物にも代えがたい。
名前を呼ぶことは愛情表現である。
3.存在感の確立
生活していて、ここにいてもいいんだと思える瞬間はあまりないと思っている。
話しながら自分がただのシンボルであり、社員Aと感じることはよくある。
情報共有のために話しながらも、そこに自分はどこにもない。
会話や挨拶といった儀礼の中に、名前を入れてあげることで、その儀礼は人にとって特別なものとなる。私のための挨拶なのだと感じられる。
もちろん、名前は厳密には同姓同名の人がいるので固有のものではないが、少なくとも会話などのシーンでは、名前を呼べば、だれを指しているか一義的に決まる。
名前を呼ぶことで、存在感を感じることができる。
■社会について
社会に出て感じてこと。皆、名前を失うよね。
担当者同士では名前で呼び合うのに、それを超えると○○会社の人となる。
論文を見ていても、○○会社の論文という言い回しをする。
特許をとっても、会社のものになる。
夏目友人帳では妖怪の名前を奪っている。
名前とは大切なものなのだ。
我々も名前を取り戻そう。
■最後に
「せんせいのお人形」という漫画をご存じだろうか。
ネグレクトされた少女が教育を受けて再生するお話しであり、初期の第7話でこのような記述がある。
「あんたという呼び方は今後禁止」
「基本的に名前で呼ぶこと」
「それがどういう意味を持つか、君が一番よく知っているだろう。」
名前を読んであげることは、人間としての基本という位置づけなのであろう。
もし、自分が名前を呼ばれてうれしいと感じるのならば、他人のことも名前で呼んであげよう。